【和食料亭呉竹荘】味旅2023・七体の甲冑展示
【2023年の味旅は家康之長寿飯】
「味旅」とは浜松の和食料亭呉竹荘が毎年8月に開催する
各地方の美味しい食材や郷土料理をテーマに
和食料理人が考えた至極の会席料理をお召し上がりいただく 期間限定イベントです。
大河ドラマ「どうする家康」で浜松市が注目を集めている今年は
徳川家康をテーマにした会席料理をご用意いたしました。
前回の投稿で家康之長寿飯についての詳細を投稿させていただきました。
今回はその味旅会場に展示される武将の甲冑についてご紹介をさせていただきます。
今年の本会場には徳川家康をはじめとする有名武将の甲冑が並ぶフォトスポットをご用意いたします。
戦国武将マニア、戦国時代マニア、甲冑マニアの方など
なかなかお目にかかれない甲冑が七体並びますので
甲冑目当てでお越しいただいても構いません。
【徳川家康】
徳川家の甲冑「歯朶具足(しだぐそく)」とは、徳川家康がもっとも愛用していた防具で
「天下取りの甲冑」とも呼ばれています。
兜がとても特徴的で、大黒頭巾(だいこくずきん)のような形をしています。
兜を「大黒頭巾形(だいこくずきんなり)」と言い
大黒天がかぶっている頭巾に似ているためこのように呼ばれています。
なぜこのような形なのかというと、徳川家康が関ヶ原の戦いに出陣する前
大黒天が武装する夢をみたことから、甲冑師に指示を出したと言われています。
もう一つの大きな特徴は「歯朶(しだ)」の葉が添えてあることです。
歯朶は常緑で枯れることがない葉と言われ、子孫繁栄や長寿の祈願を示しています。
武将にとっても縁起が良い葉であり、15代まで繁栄し平和を築きあげている
徳川家との深い繋がりがあると言われています。
【徳川家康浜松時代】
【本多忠勝】
本多忠勝は「徳川家康」の4人の重臣「徳川四天王」のひとりに数えられる戦国武将です。
甲冑は「黒糸縅胴丸具足」(くろいとおどしどうまるぐそく)
本多忠勝は、この甲冑(鎧兜)を身に纏って、57回にも及ぶ合戦に参陣したと言われています。
軽量な甲冑(鎧兜)であったのにもかかわらず、一度も傷を負わなかったと伝えられています。
本多忠勝自身の戦闘能力が高かったことはもちろん、甲冑(鎧兜)などの武具に対して
常に工夫を施していた研究熱心な一面も窺えます。
これに加えて、肩から胴に掛けられた金塗りの数珠は
黒色を基調とした本甲冑(鎧兜)の差し色になっていると同時に
戦いに明け暮れた本多忠勝の深い信仰心が表れています。
さらに本甲冑(鎧兜)において特筆すべき点は、鹿の角があしらわれた
「鹿角脇立兜」(かづのわきだてかぶと)と称される兜。
何枚もの和紙を張り合わせて仕立て上げられた
「黒塗十二間椎実兜」(くろぬりじゅうにけんしいのみかぶと)に
大鹿角の「脇立」と、金色の大獅子噛の「前立」が取り付けられています。
戦国時代における「変わり兜」の中でも、ひと際目立つ存在感を放っていた甲冑(鎧兜)です。
【榊原康政】
徳川家康に仕えた武将で、「四天王」のひとりといわれた
榊原康政(さかきばら やすまさ)が使っていた具足です。
この具足は、胴、兜のほか、腕を守る籠手(こて)、膝を防御する佩楯(はいだて)
脛を保護する臑当(すねあて)などがつき、こうした全身を守るパーツは
江戸時代になるとセットの甲冑として「当世具足」とみなされるようになりました。
黒漆(くろうるし)でつややかに塗られた胴には銀色の龍
腿(もも)を守る草摺(くさずり)には波がデザインされています。
これらの文様は、銀の薄板を貼り付けたり、細かい金粉を蒔きつけるなどして表しています。
この具足については、使った人がはっきり分かっているということ
実際に身につけている姿が絵にのこっているということも、興味深い点です。
実は、そこに描かれている旗や、戦で高く掲げて使った馬印といわれる標識なども
あわせて伝わっており、当時の雰囲気をリアルに想像することができます。
【鳥居元忠】
【赤備え二枚胴具足】
【二枚胴黒備え具足】
開催期間:2023年8月2日(水)~8月24日(木)
定休日 :月・火
料金 :6,000円(当日券6,500円)
時間 :昼席 [受付11:30/開宴12:00/お開き14:00]
夜席 [受付18:00/開宴18:30/お開き20:30]
【公式】呉竹荘
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